AX

スポンサーサイト

--年--月--日
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告

木枯らし泣いた朝/河あきら

2006年08月30日
木枯らし泣いた朝



河あきらの「不良シリーズ」!
これも絶対にはずせない、思い出深い名作。
不良って言うか、この物語では「フォークソング」です。
当時、ものすごく人気があったんですよ。フォークソング!
ともかくネコも杓子もフォークソング。
うちの夫は1952年生まれ(わたしよりもほぼ一回り年上なんですよ)なんですが、この年代の男性でフォークギターを弾いたことが無い人はいないと思われまする。うちもフェンダーだのギブソンだの、マーチンだの語りだしたら長いですぞ。
今でも懐かしのフォークソングみたいなテレビ番組のときは張り切る、張り切る!

ま、それは置いといて。

この作品、1973年の別マ11月号掲載。

主人公は西沢恵。
ブルジョアジー(死語?)だけど、愛のないの家庭で育ち、今もお嬢様学校に通っているが、日々散漫と虚しさを遊びで誤魔化すような毎日を過ごしている。
今日も今日とて、友達と喫茶店に入り浸り嬌声を上げている。
(このとき着ているワンピース、鮮やかな黄色ですよね。単行本では白黒だけど、黄色のイメージが残ってるんだけど…ひょっとしてあれは『渡り鳥は北へ』だったかな?)
でも、毎日のことで付き合う友達もたまには早く帰ると、恵を置き去りにする。それでも、まだ家に帰りたくない恵は公園をぶらつくうちに、フォークソングを弾き語る青年に出会う。
彼の名前は谷口水紀。(通称ミッキ)口の悪い父親とガラガラと二人暮しをしている。
ミッキにフォークソングの仲間の集まりに誘われた恵は、そこで歌うミッキや熱狂するファンたちを見て、熱気と連帯感と新鮮味に瞬く間にとりこになるのだった。
だんだんとミッキの仲間としてフォークの世界にはまり込んでいく恵。
しかし、思わぬ事件が起きる。
ミッキの仲間の松森がメジャーデビューを果たすことになっていたのだけど、出来上がったレコードを聞いてみればそれはミッキの歌だった。
激怒するミッキ。
しかしそのとき、ミッキの頭に激痛が走りミッキは倒れてしまう。
検査の結果は、残酷にも「脳腫瘍」であった…。

(脳腫瘍って病気をこの漫画で始めて知ったよ。)

今年いっぱい、後三ヶ月の命だと言われ呆然とする恵。
どこにも気持ちのやり場がなくて、深夜ラジオのDJにはがきを書くのだけど、それがラジオで読み上げられる。
「限りある彼の命をどう見どどければ良いのか」
という問いかけに対して、DJ植村三郎は
「思いやりの心があればこんなはがきを出さずとも、彼のことを考えて行動するはず。あなたがしたいことは自分の気持ちを満足させることに過ぎない」
と、キツい助言(になっているか?)を与えた後に
間違って、恵の名前を住所ともども読み上げてしまう!(おいおいおい!!)
恵は走る。ミッキの病室へ。案の定、ミッキはその放送を聞いていて駆けつけた恵に「後何ヶ月なんだ、俺の命は」と問い詰める。
自殺しようとするミッキをとどめて、恵は泣きながら「残された命、あなたのために尽くさせて」と、ミッキのために残り2ヶ月を生きる決心をするのだ。
投げやりになり、荒れるミッキだが、同じ病院に筋ジストロフィーであり、15歳まで生きられないかも知れないと言うのに笑顔を絶やさず元気に振舞う少年の存在が、ミッキを変える。
歌が好きだというその子のためにもミッキはできる限り歌うと約束するのだった。

(ちなみに、『筋ジストロフィー』と言う病名もこのとき初めて知りました。関係ないけど「さびたナイフ」で初めて『破傷風』を知った。「サチコの子犬」では『ジステンバー』だったし(笑)、病名の宝庫ですね。色々勉強させてもらいましたなぁ)

ミッキのが生きた証を形にするために、ミッキの歌をレコードにすることを思いつく恵。仲間たちと協力し合い、ラジオにカセットテープを送り番組で流してもらい、恵もまたいつものステージに立ちミッキの歌を歌う。
そうするうちに、ドジのDJ植村三郎が、ドジの埋め合わせにと、レコード会社のディレクターに口を利いてくれて、いよいよ実現の運びとなる。
体力の残っていないミッキは、病室でのレコーディング(松村が戻り、レコーダーを提供)もやっとの思いで終わらせ、レコード会社に持ち込むと、OKサイン!ミッキのレコードが発売されるのだ!
「あたしも本格的にフォークをやる。あなたと作ってあなたと歌って。ずっといっしょよ」とミッキに告げる恵。
しかし、その直後、ミッキは人事不省に陥ってしまう。
慌しく行き交う医師と看護婦。
その合間にミッキがうなされるように、口ずさむのは歌。ミッキの歌。
恵はしっかりとそのコードを覚えておく。目覚めたら歌えるように。
でも、ミッキの目は二度と開くことはなかった。
医師が諦めたように首を横に振るのと、はずみで電源が入ったラジオからミッキの歌が流れたのはほぼ同時だった。
ラジオのDJは言う。「谷口さんがその少女のために作った歌」と。

さようなら ぼくの愛した長い髪
生あるものへの別れ歌
木々を凍らす風とともに いまぼくは行く
永遠のたびへ


年が明けて、ミッキのレコードは発売された。
「谷口水紀 追悼コンサート」では、ミッキの声を感じながら、ステージでミッキの歌を歌う恵の姿がそこにあるのだった。


同時収録は

●さすらいジーンズ 1972年 別マ8月号

おてんば娘のあこは、友達と入った写真展で一枚の写真に目を奪われる。言ったことがないはずの日本海のその景色に見覚えがあるのだ。その写真の場所、能登へ行きたいと思うあこ。だが母親は頑なに反対。その理由を父親が話し始める。あこには驚きの真実。それはあこが今の両親の本当の子どもではなく、能登の旅館の女中さんから託された子供だと言うのだった。驚きながらも本当の母親に会いたいと、家出をして能登に向かうあこ。
ヒッチハイク、警察につかまりそうになる、雨に濡れて気を失う、親切な猟師の家で養生させてもらい、回復してから母親に会いに行くと、母親には新しい家庭がありあこを受け入れてはくれないのだった。
傷つくあこに、東京から迎えにきた今の母。あこは身近にいすぎて気付かなかった母の大切さにやっと気付くのだった。

(能登、と言う土地をこれで初めて知りました…ってこればっか)


●つむじ風の日記 1972年 別マ11月号

先生に日記をつけていないことを怒られたなお。日記を書くことで思わず姉と恋人の水木のキューピッドに。姉たちの結婚式までに、つむじ風のようにイタズラを振りまき周囲を混乱させる様子を描くコメディ。


●ありがとうエス 1969年 別マ12月号

失敗続きの宇宙局員ジェイのもとに所長が見かねて送り込んだエスは、完璧で何をやってもソツがない。そんなエスを疎ましく思うジェイなのだけど…。


■その他の河あきら作品のレビューはこちら

   わたり鳥は北へ
   太陽への道
   ゆがんだ太陽
   いらかの波
   赤き血のしるし
   木枯らし泣いた朝



■河あきら関連サイト

河のある風景
スポンサーサイト
[か行のマンガ家]河あきら | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
Rさん、こんにちは。
コメントありがとうございます!
当時のマーガレットをよんでおられるって、いうのは同じ世代なのかもしれません。
嬉しいですね(^^)
この頃の河あきらさんの作品はバッドエンドシリーズもコメディも両方好きでした!!
ひょっとして、ブログ拍手もいただいたのでしょうか。
重ねて御礼申し上げます(^^)
この作品、大好きです。子供の頃、分厚いマーガレットの一番最初に読むのが河あきら先生の作品でした。
 泣きましたね。河先生の作品は重量感があり心に残りますよね。

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。